bandar
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貧乏暇無しとはよく言ったもので、ちょいちょいやることが多くてなかなか更新できないDEATH!(パクリ)
友達が食べに来てくれたいいが、転勤で佐世保から千葉にもう行っちゃうと、しばらく食べに来れなくなるから寄りました、って泣かせるじゃないですか。ありがたいです。転勤族で2年ちょいしたらまた新しい地に赴任。佐世保着任して近隣観光なども楽しんでいたみたいで、良かったのかも。次は東京が勤務先らしいですが、ま、それなりに楽しいライフを過ごすことでしょう。
奥様の実家からのお心遣いはスタッフみんな喜んでくれました。
バンコク日本人学校の小学生からの友人は新天地でまた活躍することでしょう。転勤の時期に少し寂しい思いもする夜でした。
そーいえば常連様のEさんももうすぐ東京でした。昨日はお仕事の合間にランチされてポイントまた1つ増やしていたもよう。(ランチポイントカード実施中)寂しくなりますな。
「春なのに~おわかーれですかー」を頭の中でぐるぐる回しながらディナー営業がんばります!
友達が食べに来てくれたいいが、転勤で佐世保から千葉にもう行っちゃうと、しばらく食べに来れなくなるから寄りました、って泣かせるじゃないですか。ありがたいです。転勤族で2年ちょいしたらまた新しい地に赴任。佐世保着任して近隣観光なども楽しんでいたみたいで、良かったのかも。次は東京が勤務先らしいですが、ま、それなりに楽しいライフを過ごすことでしょう。
奥様の実家からのお心遣いはスタッフみんな喜んでくれました。
バンコク日本人学校の小学生からの友人は新天地でまた活躍することでしょう。転勤の時期に少し寂しい思いもする夜でした。
そーいえば常連様のEさんももうすぐ東京でした。昨日はお仕事の合間にランチされてポイントまた1つ増やしていたもよう。(ランチポイントカード実施中)寂しくなりますな。
「春なのに~おわかーれですかー」を頭の中でぐるぐる回しながらディナー営業がんばります!
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タイ一時帰国2日目はチェンマイへ向いました。朝9時の国内線でスワンナプーム国際空港からの初国内線。
初めてのチェンマイは小学生の頃に行きましたが、市内よりか山の奥にある農場や村などで技術指導をされていた日本の方の所にお世話になっていました。観光らしいことをしたのは小学6年生の修学旅行の時でした。姉の時代までは往復寝台列車で約120名前後の小学生が列車の旅をしながらチェンマイ修学旅行をしていました。
僕の時代はジェット機の国内線が就航。新しい航空会社が国内主要都市を当時の最新型ボーイング737型機でバンコクと地方をむすんでいました。また、前国際・国内空港、ドンムアン空港にあった国内線ターミナルは中学の頃に建てられたもので、その前までは旧ターミナルの端っこにひっそりと国内線ターミナルがありました。国際線も新しいターミナルビルに引っ越した後はVIP専用ターミナルとしてリニューアルされ使われ続けていました。
それに午前、午後各1往復しかなかったので全4クラスを2クラスに分かれて午前、午後と分けて移動、現地集合しました。
そんなチェンマイにはその後2度訪れましたが、これも農地周りばかりでした。
前振りが長すぎてごめんなさい。じつはけっこうチェンマイ県には訪れていても俗に言う観光らしいことや食に関することはあまりしてこなかったか、あまり覚えていないため一度さくっと行ってみたかったんです。それがそれが叶ったということです。
朝便でシップは福岡線でもおなじみだったA300-600型機。軽い軽食箱にはジュースとパイ、ゼリーが入っていました。
チェンマイ空港に10年以上ぶりに降り立ちましたが立派なターミナルに生まれ変わっていました。
地理もあまりよく分からないのでとりあえず宿泊先に行ってみることに。あいちゃんと園原さん達は旅行会社で全部ホテルも観光も手配していました。待ち合わせまでの時間もあったので暇つぶしもかねてとりあえず市内へ移動。運よくホテルも朝からチェックインOKしてくれたので荷物を置いてあいちゃんたちが泊まっているホテルまで歩いていくことに。途中薬局で道を確認して散策。久しぶりのタイとチェンマイで歩いているのを一歩一歩確かめながら歩きました。
ホテルを確認してまだ時間があったので夜にはナイトバザールになる道を歩いて見ました。乾季で暑くなる時期で日差しが強かったですが汗まみれにならず、やっぱり北タイにいるのだと実感しながらホテルへ。ロビーで涼んでいるとお寺観光から2人が戻ってきました。観光に回った車が新車だったらしく、新車臭い負けした園原さんとあいちゃんと無事再会し、とりあえず軽く昼食してから山の上にあるお寺、ドイステープに行くことに。
今日の昼食はスペアリブを煮込んだビーフン麺。太麺(センヤイ)を注文。日本には乾燥麺を主に使いますが、タイやベトナムのセンヤイは工場で上新粉を薄く長く蒸して、表面に乾燥防止の油を塗って生地のようにたたんで出荷され、自分の好みのや使い用途によって幅を切ってほぐしたものを使います。なので歯ざわりと風味が良くて美味しいです。このお店のスープも美味しかったです。
食後はドイステープへ。往復してくれる車に乗って出発。山道をくねくねしながら登っていきましたが、ちょっと途中で2人が心配に。やっと到着後ケーブルカーでお寺まで。初めて乗ったのですが、もし体力的に問題がない人は使わないほうがいいかもです。ケーブルカーだけはたしか20バーツほどなのですが、外国人には別途50バーツをお布施代が必要になるみたいでした。それはあいちゃんと園原さんには適応されました。
エレベーターみたいなドアから乗り込んで、動くではエレベーター内の様相ですが動き出すとケーブルカーだったんだと思ったのは自分だけだったかもしれません。何分もしないうちに到着。
ガイドブックにもよくでる仏舎利塔は目下メンテナンス中。残念。
境内を散策してお布施して、本当に来たと言う証拠にもなるよう記帳までしました。
ここからはチェンマイ市内を一望できる展望台にもなっています。野焼きのせいか少しかすんでしまっています。小学6年の時もこうしてここから市内を見たのを覚えています。
帰りは階段で降りることに。
神話に出てくるいくつもの頭を持つ蛇、ナーガに沿って下山。無料です。
夕飯まで少し時間が出来たので一旦それぞれのホテルに戻ることに。2人はいっぱい料理を食べ、カロリーも消費させるためにプールで一泳ぎ。自分は部屋に戻ってガイドブックを開いてちょっとしたら昼寝モードになりそのまま眠りについてしまいました。
次回は夕飯でのおはなしです。
初めてのチェンマイは小学生の頃に行きましたが、市内よりか山の奥にある農場や村などで技術指導をされていた日本の方の所にお世話になっていました。観光らしいことをしたのは小学6年生の修学旅行の時でした。姉の時代までは往復寝台列車で約120名前後の小学生が列車の旅をしながらチェンマイ修学旅行をしていました。
僕の時代はジェット機の国内線が就航。新しい航空会社が国内主要都市を当時の最新型ボーイング737型機でバンコクと地方をむすんでいました。また、前国際・国内空港、ドンムアン空港にあった国内線ターミナルは中学の頃に建てられたもので、その前までは旧ターミナルの端っこにひっそりと国内線ターミナルがありました。国際線も新しいターミナルビルに引っ越した後はVIP専用ターミナルとしてリニューアルされ使われ続けていました。
それに午前、午後各1往復しかなかったので全4クラスを2クラスに分かれて午前、午後と分けて移動、現地集合しました。
そんなチェンマイにはその後2度訪れましたが、これも農地周りばかりでした。
前振りが長すぎてごめんなさい。じつはけっこうチェンマイ県には訪れていても俗に言う観光らしいことや食に関することはあまりしてこなかったか、あまり覚えていないため一度さくっと行ってみたかったんです。それがそれが叶ったということです。
朝便でシップは福岡線でもおなじみだったA300-600型機。軽い軽食箱にはジュースとパイ、ゼリーが入っていました。
チェンマイ空港に10年以上ぶりに降り立ちましたが立派なターミナルに生まれ変わっていました。
地理もあまりよく分からないのでとりあえず宿泊先に行ってみることに。あいちゃんと園原さん達は旅行会社で全部ホテルも観光も手配していました。待ち合わせまでの時間もあったので暇つぶしもかねてとりあえず市内へ移動。運よくホテルも朝からチェックインOKしてくれたので荷物を置いてあいちゃんたちが泊まっているホテルまで歩いていくことに。途中薬局で道を確認して散策。久しぶりのタイとチェンマイで歩いているのを一歩一歩確かめながら歩きました。
ホテルを確認してまだ時間があったので夜にはナイトバザールになる道を歩いて見ました。乾季で暑くなる時期で日差しが強かったですが汗まみれにならず、やっぱり北タイにいるのだと実感しながらホテルへ。ロビーで涼んでいるとお寺観光から2人が戻ってきました。観光に回った車が新車だったらしく、新車臭い負けした園原さんとあいちゃんと無事再会し、とりあえず軽く昼食してから山の上にあるお寺、ドイステープに行くことに。
今日の昼食はスペアリブを煮込んだビーフン麺。太麺(センヤイ)を注文。日本には乾燥麺を主に使いますが、タイやベトナムのセンヤイは工場で上新粉を薄く長く蒸して、表面に乾燥防止の油を塗って生地のようにたたんで出荷され、自分の好みのや使い用途によって幅を切ってほぐしたものを使います。なので歯ざわりと風味が良くて美味しいです。このお店のスープも美味しかったです。
食後はドイステープへ。往復してくれる車に乗って出発。山道をくねくねしながら登っていきましたが、ちょっと途中で2人が心配に。やっと到着後ケーブルカーでお寺まで。初めて乗ったのですが、もし体力的に問題がない人は使わないほうがいいかもです。ケーブルカーだけはたしか20バーツほどなのですが、外国人には別途50バーツをお布施代が必要になるみたいでした。それはあいちゃんと園原さんには適応されました。
エレベーターみたいなドアから乗り込んで、動くではエレベーター内の様相ですが動き出すとケーブルカーだったんだと思ったのは自分だけだったかもしれません。何分もしないうちに到着。
ガイドブックにもよくでる仏舎利塔は目下メンテナンス中。残念。
境内を散策してお布施して、本当に来たと言う証拠にもなるよう記帳までしました。
ここからはチェンマイ市内を一望できる展望台にもなっています。野焼きのせいか少しかすんでしまっています。小学6年の時もこうしてここから市内を見たのを覚えています。
帰りは階段で降りることに。
神話に出てくるいくつもの頭を持つ蛇、ナーガに沿って下山。無料です。
夕飯まで少し時間が出来たので一旦それぞれのホテルに戻ることに。2人はいっぱい料理を食べ、カロリーも消費させるためにプールで一泳ぎ。自分は部屋に戻ってガイドブックを開いてちょっとしたら昼寝モードになりそのまま眠りについてしまいました。
次回は夕飯でのおはなしです。
実はこの2日とも大変ありがたいことに忙しくてなかなか思い通りに帰タイの写真などを加工することができないでいます。
明日以降もご予約で埋まってきています。バンダルでお食事をお考えでいらしたらお早めにご連絡ください。
ちなみに今回はバンコク、チェンマイ、ナコンシータマラートに行ってきました。ナコンシー。。はまだ観光地化されていない田舎街でしたが、それはそれで良かったです。のんびりーっていう感じでした。
懸念されているデモですが、一部の報道では暑さと疲労で田舎に戻る人も多くなって自然に縮小されつつあるそうです。メディアや人々の関心をひきつけ自己主張をするにはあらゆる手を打つ感じですが、どこまで出来るかと言う意味で悪い意味で注目されています。
では、今日はこの辺で。すみません。
明日以降もご予約で埋まってきています。バンダルでお食事をお考えでいらしたらお早めにご連絡ください。
ちなみに今回はバンコク、チェンマイ、ナコンシータマラートに行ってきました。ナコンシー。。はまだ観光地化されていない田舎街でしたが、それはそれで良かったです。のんびりーっていう感じでした。
懸念されているデモですが、一部の報道では暑さと疲労で田舎に戻る人も多くなって自然に縮小されつつあるそうです。メディアや人々の関心をひきつけ自己主張をするにはあらゆる手を打つ感じですが、どこまで出来るかと言う意味で悪い意味で注目されています。
では、今日はこの辺で。すみません。
今朝タイから帰ってきました。今日は仕込みや打ち合わせなどをして、明日からの通常営業に向けて準備しています。
2週間もの長いお休みを頂戴し、この期間にご来店を決めていた方々にも大変ご迷惑をおかけしました。
また明日から仕事に打ち込んでいきます。これからもよろしくお願いいたします。
バンダル 料理長
木原 一嘉
2週間もの長いお休みを頂戴し、この期間にご来店を決めていた方々にも大変ご迷惑をおかけしました。
また明日から仕事に打ち込んでいきます。これからもよろしくお願いいたします。
バンダル 料理長
木原 一嘉
昨日の昼と夜の間のアイドリングタイムにメールが。
自分の名前をなのらずに「ひさしぶり~」と入っていて最初は「?}になるも、メールアドレスと内容のキーワードで誰か直ぐに判明。そのまま何回かやり取りをしました。
福岡に来る旨の内容だったのですが、出張かなと思っていました。(後で思うと週末出張はなかなかないかな、と思うのですが。)
予約でほぼ満席に近かったのと、一日中あれこれと動き回らないといけない仕事があったのでちょっと連絡取れなくて心配していましたが、21時ごろにご来店。
15年近く会っていない、同じ高校の後輩(もうほとんどタメ)です。
関東に住んでいますが、親戚に子供を見せに奥さんと来福。ついでにと先輩に聞いて携帯のメールアドレスをもらってきたそうです。
タイで一緒だったあの頃のバンコクは発展の途中。高速道路の拡張やBTS(高架鉄道)の工事に入るときでした。交通渋滞は日常茶飯事で、どこに行くにもバスを乗り継がなければなりませんでした。タクシーにはメーターが付いていませんでしたがクーラーはついていました。屋台の汁麺やご飯類も12バーツ(32円/今日のレートで)、現在は20~30バーツ。そんな素朴でも面白かったです。
こうして当時のバンコクの話、友達や後輩達の近況、お互いの近況報告ができてとても嬉しかったです。高校時代数々の伝説を残した怪人ですが、こうして再会させていただいた機会に感謝しています。