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日付がとっくの昔に変わってしまいましたので昨日の話になりますね。3月20日。
3年経ったんですね。
東京に住んでいた頃と比べてほとんど地震を感じた事がありませんでしたが、とうとうこの日が来た!とマジで心で叫んでいたのを今でもはっきりと覚えています。
地震発生時間はランチの準備。ズンと突き上げるような感覚から直ぐに揺れが始まり、とっさにガス栓を閉めていきましたが、最後のスープレンジにたどり着く頃には経っていられないぐらいの揺れと物凄い音。自分の意思で何も出来ず、ただ揺れに踊らされてどうする事も出来ませんでした。
強い揺れのピーク時にスープレンジにたどり着いたのはいいが、10Lのスープ寸胴が踊っているのにどうにも出来ないし、沸騰しているから熱い。しかも倒れこんだ自分の両足に全部かかり、揺れが収まった時には鶏がらで足が埋もれていました。
厨房はめちゃくちゃ。お皿はほとんど割れ、足場もないぐらい色んなものが散乱。冷蔵、冷蔵庫の中身が出てきてしまっていたり移動している。水道管が切れて水びだし。
スタッフ全員の確認後、ビルから一旦退去。当時ビルの前に駐車場があったので、系列店も含めた全スタッフが避難しました。
自分は火傷の治療の為歩いて病院へ。すでに何人もの被災者の方々。休日用診察受付では無理になり、急遽一般受付ならびに一般診察室を開ける。被災者はどんどん増え、休日の為お医者さんや看護婦さんに受付の事務員が少なく混乱気味。
いつくるか分からない順番を待合ロビーで待っているとき、火傷した所(両足太もものつけねの下ほとんど)、特に足首に熱をもちはじめたので靴をぬいで扇いでいたら、たまたま看護婦さんの目にとまり直ぐに診察室へ通される。
先生が1人で2人3人を同時に診ていく。その内駆けつけた先生方が入ってこられました。院長先生が自分の足を診て「この部分の火傷はみんな厨房で働く人たちばかりだよ」とおっしゃっていた。余震の中、包帯まできっちり巻いてくれました。
完治まではいかなくても、包帯が取れるまできっちり1ヶ月毎日通院しました。治りかけのところがかゆくなったりしたり、逆に膿んでいるところの痛みがすごく、立ち仕事が辛い日も多かったです。今でも少し痕が残ってしまいましたが、未だにあの日の事は忘れられません。
日々の生活に緊張感が薄れてきてしまっているため、防災意識は低くなってしまいましたが今一度考え直した日でした。
ちょっと古い写真なんですが、まぁ普段の厨房の様相が、
地震直後はこんなに。手前の中華鍋いっぱいにグリーンカレーの仕込みをしていましたが、ごらんのとおりほとんど残りませんでした。
テレビの中で見た災害現場に自分が立っています。