bandar
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連休が続いたのでとても忙しく、業務をこなすので精一杯状態で更新怠っていました。
ある意味更新も業務の一つなのですが。。。。
この前の連休のちょうど真ん中に今年2回目の日帰りタイ往復を強行しました。前回同様葬儀です。
身内の葬儀をこのブログに出すのはどうかととても悩みました。しかし今の自分があるのも逝ってしまった人たちのお蔭様。その沿線上にバンダルが存在できているのは事実です。それをかみしめながら改めての報告です。
前回もはっきりしない内容の帰タイについて触れた事がありました。(1月に)そのときは祖父の葬儀でした。祖父がタイに移住すると決めた為、今の自分の人生が「タイ」というキーワードが半分決まりました。
移住した時は父と母はまだ知り合っておらず、父は別ルートでタイ行きを決断して二人はタイで知りあいました。そこで結婚が決まり、ある意味自分の人生がタイで生まれることが決まりました。
そんな最初のきっかけを作った祖父がこの世を去ったのは突然のことでした。もうちょっと長生きするだろうと勝手に思っていて、タイに2週間帰れたときにもう少し一緒にいれば良かったなと後悔もしました。頻繁に帰れるわけでもなく、耳が遠くなったので電話もままならず、結局なにも言えずにお別れをむかえたのはすごく申し訳ありませんでした。
知人とスタッフの勧めで火葬の儀に出席することを決断。シフト上のこともあり夕方バンコクに到着して直ぐに午前1時の便に乗り、次の朝8時に福岡に戻ってきました。
今回は祖父が亡くなる前から体調を崩した叔父が亡くなりました。とても辛く苦しい日々を過ごした時もあったそうです。祖父が病院に見舞いに行ってたということも聞き、不思議に気持ちになったのも覚えています。祖父の葬儀の時に数年ぶりに会え、笑顔で迎えてくれたときのことは今でもはっきりと思い出します。時間もあまりなかったのでたくさん話が出来ませんでしたし、あまり叔父の病状を知らなかっただけに何を話したら良いか正直分かりませんでした。静かに出迎えてくれた叔父もとうとう亡くなってしまいました。
叔父はタイで建設業に携わり多くの人たちに慕われていたそうです。そんなこともあってタイの風習にちなんでお通夜は5日間執り行なわれました。火葬の儀は週末にあたるのと、予約状況からして合間の日のみしか行くことは出来ないと判断、お通夜3日目に出席するため日帰りしてきました。
季節風の関係で到着時間は祖父の時より早かったのと、入国審査もスムーズに進んだのでタクシーではなく、この前開通した空港鉄道 エアポートリンクを使って都内へ。BTS(高架電車)乗り換えをしてからまず少し買出しをしてからお寺へ。夕方に日本人のお坊様に日本語でお経をあげてもらい、その後タイのお坊様からタイ式のお経をおげてもらいました。20時近くに全て終わり、皆さんを見送ってから一旦家に帰りましたが疲れからか頭痛もひどくなりソファで2時間ほど一眠りしました。
前回も混雑で出国審査、手荷物検査に30分以上かかったりもしたのですがとりあえず間に合う程度に空港へ。福岡便はとても遠く離れた場ゲートからの出発なので、その辺も考えて本屋で欲しかった本を手にして出国、定刻どおり飛行機は出発して福岡に戻ってきました。途中気流の悪い状況が続きあまり眠れなかったのは前回と同じでしたが、とりあえず直ぐに仕事に戻り、忙しさで寂しさを紛らわせるような日々を送ってきました。
実質7時間弱ほどのバンコクでしたが、それでもタイに帰り二人を見送れた大切な時間は7時間以上のものがありました。いささか今回はバンダルの仕事がとても多く、前後忙しい日が多かったため正直ボロボロ寸前でしたが、週末までには回復させ乗り切ってきました。タイで共に過ごした日々を時々思い出します。最後までタイで人生を送った二人に恥じないよう、これからも日々勉強しながらタイ料理を作っていこうと改めて心に決めました。
ある意味更新も業務の一つなのですが。。。。
この前の連休のちょうど真ん中に今年2回目の日帰りタイ往復を強行しました。前回同様葬儀です。
身内の葬儀をこのブログに出すのはどうかととても悩みました。しかし今の自分があるのも逝ってしまった人たちのお蔭様。その沿線上にバンダルが存在できているのは事実です。それをかみしめながら改めての報告です。
前回もはっきりしない内容の帰タイについて触れた事がありました。(1月に)そのときは祖父の葬儀でした。祖父がタイに移住すると決めた為、今の自分の人生が「タイ」というキーワードが半分決まりました。
移住した時は父と母はまだ知り合っておらず、父は別ルートでタイ行きを決断して二人はタイで知りあいました。そこで結婚が決まり、ある意味自分の人生がタイで生まれることが決まりました。
そんな最初のきっかけを作った祖父がこの世を去ったのは突然のことでした。もうちょっと長生きするだろうと勝手に思っていて、タイに2週間帰れたときにもう少し一緒にいれば良かったなと後悔もしました。頻繁に帰れるわけでもなく、耳が遠くなったので電話もままならず、結局なにも言えずにお別れをむかえたのはすごく申し訳ありませんでした。
知人とスタッフの勧めで火葬の儀に出席することを決断。シフト上のこともあり夕方バンコクに到着して直ぐに午前1時の便に乗り、次の朝8時に福岡に戻ってきました。
今回は祖父が亡くなる前から体調を崩した叔父が亡くなりました。とても辛く苦しい日々を過ごした時もあったそうです。祖父が病院に見舞いに行ってたということも聞き、不思議に気持ちになったのも覚えています。祖父の葬儀の時に数年ぶりに会え、笑顔で迎えてくれたときのことは今でもはっきりと思い出します。時間もあまりなかったのでたくさん話が出来ませんでしたし、あまり叔父の病状を知らなかっただけに何を話したら良いか正直分かりませんでした。静かに出迎えてくれた叔父もとうとう亡くなってしまいました。
叔父はタイで建設業に携わり多くの人たちに慕われていたそうです。そんなこともあってタイの風習にちなんでお通夜は5日間執り行なわれました。火葬の儀は週末にあたるのと、予約状況からして合間の日のみしか行くことは出来ないと判断、お通夜3日目に出席するため日帰りしてきました。
季節風の関係で到着時間は祖父の時より早かったのと、入国審査もスムーズに進んだのでタクシーではなく、この前開通した空港鉄道 エアポートリンクを使って都内へ。BTS(高架電車)乗り換えをしてからまず少し買出しをしてからお寺へ。夕方に日本人のお坊様に日本語でお経をあげてもらい、その後タイのお坊様からタイ式のお経をおげてもらいました。20時近くに全て終わり、皆さんを見送ってから一旦家に帰りましたが疲れからか頭痛もひどくなりソファで2時間ほど一眠りしました。
前回も混雑で出国審査、手荷物検査に30分以上かかったりもしたのですがとりあえず間に合う程度に空港へ。福岡便はとても遠く離れた場ゲートからの出発なので、その辺も考えて本屋で欲しかった本を手にして出国、定刻どおり飛行機は出発して福岡に戻ってきました。途中気流の悪い状況が続きあまり眠れなかったのは前回と同じでしたが、とりあえず直ぐに仕事に戻り、忙しさで寂しさを紛らわせるような日々を送ってきました。
実質7時間弱ほどのバンコクでしたが、それでもタイに帰り二人を見送れた大切な時間は7時間以上のものがありました。いささか今回はバンダルの仕事がとても多く、前後忙しい日が多かったため正直ボロボロ寸前でしたが、週末までには回復させ乗り切ってきました。タイで共に過ごした日々を時々思い出します。最後までタイで人生を送った二人に恥じないよう、これからも日々勉強しながらタイ料理を作っていこうと改めて心に決めました。
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