bandar
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実は、最近、ホームシックなんです。バンコクが。
ここんとこ仕事が立て込んでいたせいかもしれませんが、なんか「ゆとり」があまり無かっただけに家に帰りたくなってしまっています。僕が頑張らなければ、店もタイの家族も大変な事になる。だから、我慢です。
今日は少し暗いかんじですね。すみません。
日本に住みたいと思い始めたのは中学の終わりぐらい。(注、僕日本人)
その前に今日は自分の自己紹介しますね。
名前:木原 一嘉
国籍:日本(本籍 神奈川県)生まれはバンコク
職業:コック
年齢:35歳
趣味:映画鑑賞、読書、昼寝
特技:
好きな食べ物:羊の醤油煮込み(中華街に必ず行く所は美味い)など、い~っぱい。
苦手な食べ物:昆布茶(飲み物だった)
こんなんでいいですね。
それで、話は戻りますが、日本に住み始めの初日(東京、杉並区)、布団がなくて畳の部屋で雑魚寝を2晩しました。もちろんダニにかまれました。どこで布団を買えばいいのか分からなかったんです。姉と共同で部屋を借りたので、姉についてJR中野駅前の商店街まで一緒に買いに行きました。
ここでも初!宅急便に家まで布団を届けてもらう行為。成田空港から宿泊先まで荷物の宅配はしてもらっていましたけど、それではない、普通の生活用品でも宅配。うー初(感激)布団を背負って帰ってこないといけないと思っていただけに驚きました。
その他「初」はいっぱいありました。もーほんとに日本に来てよかった~と思いました。
でもその反面、やっぱりタイが恋しくなった事も多かったです。知り合いや友達は日本でもたくさん出来ました。相談に乗ってくれる人や飲み友達、学校でも皆良くしてくれました。でもやっぱり生まれ育った環境や雰囲気に戻りたい気分は常にありました。
それにバンコクは目まぐるしく進化していきました。高校のころにはまだBTS(高架鉄道)はなかったですし、高速道路も拡張工事中でした。知らぬ間に取り壊されているものや新しく出来たもの。帰るたびに驚きと新発見がとても楽しかったです。今でもそれはありますね。
今は仕事中心の生活。タイに送るお金もあったりなかったりと不安定ながらも継続しないといけませんし、自分自身の貯金もいい加減しないといけないですし。
よく聞かれるのは、「将来はどっちに住むの?」
正直、この歳なのに恥ずかしい話、「分からない」のが本心です。
何々に向かって......目標を.....
もちろんそれはあります。でも、それはまた色んな状況や環境の変化で変わってくるではないですか。この職業、別に1つの国や地域に留まらないといけないわけでも無いですから、またいつどこからオファーがあってもおかしく無いです。自分の家族や大切な人が幸せに暮らせれる環境であれば、将来は「どっち」ではなくても良いとも思います。ただ、やっぱりタイは自分の生まれ故郷でもありますし、日本は日本人としての祖国でもあります。それだけは、将来どんな事があっても変わらないですよね。
タイも日本も大好きです。でも今あるモヤモヤは、あまり好きではないです。
今住んでるバンコクのマンションから
ここんとこ仕事が立て込んでいたせいかもしれませんが、なんか「ゆとり」があまり無かっただけに家に帰りたくなってしまっています。僕が頑張らなければ、店もタイの家族も大変な事になる。だから、我慢です。
今日は少し暗いかんじですね。すみません。
日本に住みたいと思い始めたのは中学の終わりぐらい。(注、僕日本人)
その前に今日は自分の自己紹介しますね。
名前:木原 一嘉
国籍:日本(本籍 神奈川県)生まれはバンコク
職業:コック
年齢:35歳
趣味:映画鑑賞、読書、昼寝
特技:
好きな食べ物:羊の醤油煮込み(中華街に必ず行く所は美味い)など、い~っぱい。
苦手な食べ物:昆布茶(飲み物だった)
こんなんでいいですね。
それで、話は戻りますが、日本に住み始めの初日(東京、杉並区)、布団がなくて畳の部屋で雑魚寝を2晩しました。もちろんダニにかまれました。どこで布団を買えばいいのか分からなかったんです。姉と共同で部屋を借りたので、姉についてJR中野駅前の商店街まで一緒に買いに行きました。
ここでも初!宅急便に家まで布団を届けてもらう行為。成田空港から宿泊先まで荷物の宅配はしてもらっていましたけど、それではない、普通の生活用品でも宅配。うー初(感激)布団を背負って帰ってこないといけないと思っていただけに驚きました。
その他「初」はいっぱいありました。もーほんとに日本に来てよかった~と思いました。
でもその反面、やっぱりタイが恋しくなった事も多かったです。知り合いや友達は日本でもたくさん出来ました。相談に乗ってくれる人や飲み友達、学校でも皆良くしてくれました。でもやっぱり生まれ育った環境や雰囲気に戻りたい気分は常にありました。
それにバンコクは目まぐるしく進化していきました。高校のころにはまだBTS(高架鉄道)はなかったですし、高速道路も拡張工事中でした。知らぬ間に取り壊されているものや新しく出来たもの。帰るたびに驚きと新発見がとても楽しかったです。今でもそれはありますね。
今は仕事中心の生活。タイに送るお金もあったりなかったりと不安定ながらも継続しないといけませんし、自分自身の貯金もいい加減しないといけないですし。
よく聞かれるのは、「将来はどっちに住むの?」
正直、この歳なのに恥ずかしい話、「分からない」のが本心です。
何々に向かって......目標を.....
もちろんそれはあります。でも、それはまた色んな状況や環境の変化で変わってくるではないですか。この職業、別に1つの国や地域に留まらないといけないわけでも無いですから、またいつどこからオファーがあってもおかしく無いです。自分の家族や大切な人が幸せに暮らせれる環境であれば、将来は「どっち」ではなくても良いとも思います。ただ、やっぱりタイは自分の生まれ故郷でもありますし、日本は日本人としての祖国でもあります。それだけは、将来どんな事があっても変わらないですよね。
タイも日本も大好きです。でも今あるモヤモヤは、あまり好きではないです。
今住んでるバンコクのマンションから
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