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パタヤはバンコクから東にあるリゾート地。約2時間で行けるので昔から近場の海リゾートという感じでした。

パタヤ近辺には空軍基地があり、おととし起きた空港閉鎖事件では、この空軍基地から民間機が乗り入れてタイ脱出劇が繰り広げたところです。また、時折アメリカの空母や戦艦が立ち寄り、最前線から帰ってきた兵士たちの休息地としての役割もあります。

そのため早いうちからリゾート開発され、お客は主にアメリカ兵だったりもした時代もあったようです。地理的にカンボジア、ベトナムに近いため、戦争時は天国の様な場所だったに違いありません。ちなみ自分が生まれた72年はまだベトナム戦争でした。もっとも空爆の激しかった年でもあり、タイから物資や兵士が送り込まれました。

高校時代も休みには友達と遊びによく行きました。今と比べるとまだまだ遊ぶところは少なかったですが、それなりに楽しみました。その頃は欧米人の他はもっぱら香港人、韓国人、台湾人、日本人(全てツアー団体)が主なお客様でした。

通貨危機や世界情勢の変化と共にパタヤへ訪れるお客様も変わりました。今はだんとつロシア人、中国人(本土、最近減りました)、インド人です。特にロシア語表記のお店や案内パンフレットも充実しているほか、ロシア料理店もあるぐらいです。オイル関係で財を得た人たちでしょうね。とにかく買い物もいっぱいしてくれます。インド人はここ最近の経済発展(IT系)の恩恵で、いずれもグループでや団体での行動です。

高校のときに戻りますが、ロシアはまだソ連で自由に外国に出入りも難しかっただけでなく、ルーブルの価値など低かったので外国旅行なんてごくごくわずかな人たちでした。インドも経済発展を続けていましたが、やはりごく一部の富裕層。あとは印僑がいるぐらいでしたから経済発展のすさまじさはすごいです。

こう考えると自分もいい歳なので移り変わりを肌で感じるとなんとも切ない思いに浸りがちですが、これはこれでものすごく楽しんでいます。福岡も常に変化で忙しいです。時の流れにそって、移り行く時代に、自分の足跡も残せれたらな、とふと思いました。
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